何かの区切りに人生を思うことは、いいこと。

令和元年皐月に、私も人生をふりかえりたい。

若い頃は、いや母が自分の意思を主張できなくなるまでかもぐらい・・・か

そんな、なが~い間、母のやることに反発し生きてきた永久反抗期の私だが、

母をみおくり、仏壇のお位牌に手を合わせると、

母のしてきた先祖への供養の姿に深い意味を感じる。

現職の時には、目の前の子どもたちに、『命の尊さ・自分の存在価値』を感じる授業をしてきた。

その折には何人の先祖がいるのだろうと途方もない数字に共に感動したものだ。

各家庭で、先祖の知る限りの話をすることは、

そのとき子どもに伝わらなくても、分からなくても、

後のその子の生きる意味を知らしめるのではと、

母の無言の教えを感じ取っている私だ。

 

関連して私は今思う。

天皇家の安定的な継承のために論議がされるそうだ。

天皇家は男系を守ってきたといわれている。

私は男女が同権の観点で議論されるべきではないと考えている。

家それぞれなのだ。

国民統合の象徴という独特な『家』であるとはいえ

その『家』が守ってきた伝統は、本当の断絶の危機になるまで

つまり、ひさひと様にお子がいなくなるまで守るべきだと思う。

そのときの救済措置に女性宮家を残しておくのもいいかもしれないが

そこまでは伝統を守ってほしい。と願う。

それに関してだけは,国民統合の意思の前に、

天皇家と、とりまく関係者の意見を尊重すべきだと思う。

 

私は今仏壇に手を合わせながら、

母が頑固に守ってきた我が家の女系の意味を考える。

そして、男系であれ、女系であれ、自分のなかの伝統を守る心地よさを感じる。

うちも、本家は長男が継いでいるから、商家独特の女系が家をという考えではない。

ただ、明治になって、大阪の居留地に栄えだした材木問屋が10人の子宝に恵まれ、

6人成人した子どもたちに男女問わず分家を持たせたことに始まる。

末娘でかわいがられ、家を出なかった。そして女児しか誕生しなかったのが

我が家の女系のはじまりだ。私でたかが3代目で、私は男児しか産まなかったから

もう女系は終わり。だから、母も祖父母も合祀した。

たとえ息子が子孫を残しても、息子まで。もう終わり。そう思う。

それに寂しさは感じない。

私の母、、祖母、婿に入ってくれた父や祖父は私しか祭れない。

婿に入ってくれた父や祖父の先祖の祭祀は、その家がする。

そうして家制度は続いてきた。

その家制度は、少子化によっていまや崩壊しつつある。

合祀の際その多さを実感した。

財産がなければ、継ぐものがなければなおのこと。

私は結婚のとき悩み、家を守りたい母に、猛反発した。

しかし、女系で育った私中心の考えは、夫や夫の母親兄弟とは

当然相容れず離婚した。

そこに経済的理由があったのは当然であるが、

いま何はともあれ、離婚し女系の娘として

母をみおくれたのがせめてもの幸せだ。

 

人それぞれに人生はある。女性進出は当然の流れ。

もっと進化すべきだ。

しかし、心の中の伝統は不易でいい。

私は自分勝手に解釈し、今の自分の幸せを手にしようとしている。

 

天皇家という、特別な家に嫁いだ雅子様は、幸せになるために、

お捨てならなければならないものがあるのだろう。

覚悟をきめて、気楽に自分を守っていただきたい。